人生 100 年時代を迎える「令和の退職金」に求められる役割とは | 連載「退職金がない会社は今すぐ辞めるべきか」
経済の長期停滞により縮小の一途をたどった「平成の退職金」。企業の負担軽減と従業員・受給者の既得権確保の狭間で、「そもそも退職金制度は何のためにあるのか」という議論は置き去りにされがちでした。これから人生 100 年時代を迎えようとする中で「令和の退職金」に求められる役割は何なのか、キャリアプランやライフプランの視点を交えて考えていきます。
令和はマルチステージ人生への過渡期の時代
「人生 100 年時代」は、ロンドンビジネススクールのリンダ・グラットン教授が著書『LIFE SHIFT (ライフ・シフト) 』の中で提唱した言葉です。平均寿命が延び続けることにより、「日本では、2007 年に生まれた子どもの半数が 107 歳より長く生きると予想される」とされています。
100 年ライフでは、これまでの「教育」「仕事」「引退」という 3 ステージの人生から、マルチステージの人生への転換が求められます。マルチステージの人生では生涯に 2 ~ 3 つのキャリアを持つようになり、次のような新たなステージを経験することになります。
<エクスプローラー>
1 ヶ所に腰を落ち着けることなく身軽に動き続け、周囲の世界を探査する。そこに何があり、その世界がどのように動いているか、そして自分が何をすることを好み、何が得意かを発見していく。
<インディペンデント・プロデューサー>
組織に雇われずに独立した立場で生産活動に携わる。永続的な企業を作ったり、事業を成長させて売却することを目的とするのではなく、事業活動そのものや、それらを通じて学習することに重きが置かれる。
<ポートフォリオ・ワーカー>
異なる種類の仕事や活動に同時並行で携わる。所得の獲得を主たる目的とする活動、地域コミュニティとの関わりを主たる目的とする活動、趣味を究めるための活動など、様々な活動のバランスを主体的に取りながら生活する。
しかしこれまで 3 ステージ以外の人生を考えてこなかった世代が、いきなりマルチステージの人生に移るというのは現実的ではありません。LIFE SHIFT の中に登場するジミーは1971 年生まれ。3 ステージの人生からマルチステージの人生への過渡期にあたる世代であり、今後の働き方として次のような 3 種類のシナリオが描かれています。
<3.0 シナリオ>
前の世代を踏襲して 3 ステージの人生を送る。自分のスキルが時代遅れになっていき、60 歳以降は低賃金の職に就かざるを得なくなる。引退後の収入は少なく、思っていたよりずっとひもじい生活をする羽目になる。
<3.5 シナリオ>
3 ステージの人生に「0.5 ステージ」をつけ加える。55 歳から週に1回、大学で学生を指導するようになり、59 歳からは会社を辞めて大学でフルタイムのポストに就く。給料は減り、お金にゆとりがあるわけではないが、仕事と家庭のバランスを取りながら 70 代になっても仕事を続けられる。
<4.0 シナリオ>
意識的に変化と変身を遂げ、人生に 4 つ目の新しいステージを加える。4.0 シナリオの 1 つでは余暇の時間を娯楽ではなく「学び直し」に使い、新しい資格を手にして従業員の育成に熱心な会社に転職する。その後も学習を継続し、60 代以降はポートフォリオ・ワーカーのステージに移行。70 代後半になってもまだ仕事の依頼がある。 もう 1 つのシナリオではインディペンデント・プロデューサーのステージに移行する。会社での仕事のかたわら、いくつかのサイドプロジェクトを行ったり、大都市への異動を申し出て地元の中小企業オーナーたちと人脈を築くなどして起業に向けた準備を進め、3 年後に会社を設立する。
令和の時代にはジミー世代の人たちが 60 歳を迎えていくことになります。100 年ライフへの過渡期においては、変化の度合いは人それぞれであるとしても、これまでの仕事を継続しつつ (会社を利用しつつ) 人生に新たなステージを加えていくことが求められるでしょう。
『定年後』のベストセラーで知られる楠木新氏は、近著『会社に使われる人 会社を使う人』の中で、自身のこれまでの経験や数多くの取材から次のように語っています。
「在職中から、サラリーマン以外の“もう一人の自分”を準備しておけば、退職したときの戸惑いは少なくてすむ。定年後の人生への移行で躓く人の多くは、職中の人生の大半を会社員という唯一のマインドで生きてきた人たちだ。」
これは、LIFE SHIFT の中で描かれたシナリオを日本の会社員の実情に置き換えたものだといえるでしょう。そこにはシナリオ 3.5 や 4.0 を歩むためのより現実的な戦略が提示されています。
令和の退職金に期待される 2 つの役割
こうした時代において、退職金にはどのような役割が期待されるでしょうか。1 つはやはり引退後の生活資金を確実に確保しておくことでしょう。新たなステージへ移行しようとしても必ずうまくいくとは限らず、それまでの収入を維持できる保証はありません。一定の報酬を安定して得られるステージにおいてはその報酬の一部を引退後資金として継続して積み立てておくことで、将来の経済的な不安を和らげることができます。
もう 1 つはステージの移行期間にかかる資金を賄うという役割です。学び直しや再就職、起業に向けた準備には資金が必要となりますが、新しいステージに移る際に退職金を受け取ることができればその資金を賄うことができます。言い方を変えれば、そのような資金が確保されていることで、新しいステージに向けた一歩を踏み出しやすくなります。
実は、少なくとも形のうえでは、平成の時代に退職金はこの 2 つの役割を持つように変化してきました。それは確定拠出年金の普及によるものです。確定拠出年金は今や最も多くの企業で実施されている企業年金制度となりました (2019 年 2 月現在の実施事業主数は 32,635 社) 。一方で退職金制度を確定拠出年金のみとしているという企業は少数派で、多くの企業では退職一時金や確定給付企業年金等との組み合わせとなっています。
退職金のうち確定拠出年金として積み立てられた部分は退職の時期にかかわらず原則として 60 歳まで引き出すことができず、また転職等で職業が変わってもそれを持ち運んで積み立てを継続することが可能であることから、高齢期における生活資金が確実に確保されることになります。これに対して、確定拠出年金以外の退職給付制度では年齢にかかわらず退職時に給付を受け取ることができるため、両方の制度を組み合わせることで引退後の生活資金と新たなステージへの移行に係る資金の 2 つを退職金で賄うことができます。
しかしこれは結果的にそうなったということであり、2 つの役割を明確に意識して退職金制度を設計、運用しているという例はほとんど聞かれません。引退後の生活資金としての確定拠出年金を充実させていくには、継続的な投資教育 (学習) やマッチング拠出 (本人拠出による掛金の積み増し) 等に企業も個人ももっと関心を持って取り組むことが必要になりますし、確定拠出年金以外の退職金を新たなステージへの移行資金として有効に活用するためには、企業は個人に対して「学び直し」の機会を用意し、個人はそれを利用して新たなステージに移るための準備を自ら始めることが必要となるでしょう。
キャリアプラン・ライフプランと一体で考える
このように考えていくと、退職金は、どのようなキャリアプランやライフプランを描くのかということと切り離せない関係であることがわかります。
例えば、65 歳を超えても同じ会社の中で役割を大きく変えることなく働き続けることができ、生活費を賄えるだけの十分な収入を得られるのであれば、3ステージの考え方のままでも大きな問題はないかもしれません。退職はそのまま引退を意味しますから、退職金の役割としては基本的に引退後資金の確保だけ考えておけばよいことになります。
しかし、ビジネス環境が常に変化していく中では、たとえ今は 3 ステージの考え方が通用する会社であったとしても将来もそうである保証はありません。また、会社の中で必要とされているシニア社員は、他社からも引き合いがあるような人材であることが多いのが実情です。結局のところ、社会の中で必要とされる能力やスキルを開発し、磨き続けることが必要だということです。
実際には60 歳以降もそれ以前と同じ役割や処遇で働き続けられる例は非常に限られており、定年を 60 歳超に引き上げている企業においても、適用される人事制度は 60 歳で切り替わるケースが少なくありません。これからの時代にふさわしい「令和の退職金」の設計を考えるうえでは、各企業において今後従業員のキャリアをどのように考えていくのか、特に、新たなステージへの移行時期をどこに置くかということが重要なポイントになるでしょう。
例えば、従来どおり 60 歳定年退職を前提とし、定年後は新たなステージに移るというキャリアコースを想定した場合には、再雇用を選択しないインセンティブとしての退職金の上積みが考えられます。50 代での早期退職加算に加え、60 歳で再雇用を選択せずに定年退職した場合にも退職金を加算するイメージです。
ただ、退職金の上積みだけで新たなステージに踏み出せる社員は決して多くはありませんし、個人の立場から言っても具体的な退職後のプランがないまま辞めてしまうのはリスクがあります。企業には、40 ~ 50 代の社員に対して定年後への準備を始めるきっかけとしてキャリア研修を実施したり、副業 (複業) や出向、長期休暇など、社内とは異なる環境を経験できる機会を設けることが求められますし、社員の側にはそうした機会を有効に活用して新たなステージに向けた準備を進めておくことが求められます。
つまり、新たなステージへの移行資金としての退職金は、単に退職時にお金を渡すということだけでなく、キャリアの自立支援策とセットで考えなければならないということです。
一方、引退後資金としての退職金についてはやはり確定拠出年金がメインになるでしょう。どのようなライフコースをたどったとしても、少なくとも 60 歳になるまでは個人別の口座で確実に資金を積み立てることができるからです。掛金の選択制やマッチング拠出、個人型確定拠出年金 (iDeCo) との併用などにより、社員にとって税制メリットを最大限に活かせるような制度設計を行うとともに、そのメリット (及び留意点) を丁寧に伝えていくことも重要となります。
また、引退後のマネープランを考えるときには、確定拠出年金を含む退職金や個人年金、公的年金の受取方法をどう選ぶかがポイントとなります。令和の時代に 100 年ライフが実現するかどうかはともかく寿命は確実に延びており、自分の寿命がいつまで続くのか、すなわち引退後の生活資金がいつまで必要なのかは誰にもわかりません。これに対応するための有効な方法は公的年金の繰下げ受給、つまり国からの年金の受け取りを遅らせることです。
現在、公的年金 (老齢基礎年金と老齢厚生年金) は原則として 65 歳から受け取ることになっていますが、最大 70 歳まで受給を繰り下げることが可能であり、この場合、65 歳受給開始の場合と比べて 42 %増しの年金を 70 歳から生涯にわたって受け取ることができます。繰下げ可能な年齢についてはさらに延長することが検討されており、今後数年のうちに 75 歳程度にまで引き上げられる (その分年金額の割増率も高くなる) 可能性は高いでしょう。年金額が必要生活費と同じになるまで受け取りを遅らせることができれば、その後の生活資金については寿命にかかわらず公的年金でカバーすることが可能になります。
このとき、引退後資金としての退職金は、引退から公的年金の受給開始までの期間の生活資金に充てることになり、寿命という不確定な要素に左右されることなく引退後のマネープランを考えることができるようになります。
引退後資金としての退職金についても、単に会社が社員の口座にお金を積み立てるということだけでなく、社員の自助努力を支援するとともに令和の時代にふさわしいマネープランを立てられるような教育を行うことによって、その役割を十分に果たすことができるでしょう。
著者 : 向井洋平 (むかい ようへい)
クミタテル株式会社 代表取締役社長
1978年生まれ。京都大学理学部卒業後、大手生命保険会社を経て2004 年にIICパートナーズ入社。2020年7月、クミタテル株式会社設立とともに代表取締役に就任。大企業から中小企業まで、業種を問わず退職金制度や高年齢者雇用に関する数多くのコンサルティングを手掛ける。日本アクチュアリー会正会員・年金数理人、日本証券アナリスト協会検定会員、1級DCプランナー、2級FP技能士。「人事実務」「人事マネジメント」「エルダー」「企業年金」「金融ジャーナル」「東洋経済」等で執筆。著書として『確定拠出年金の基本と金融機関の対応』(経済法令研究会)ほか。
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