賃上げによる退職金コストの増加~退職金への影響を回避する方法
賃上げが人件費に及ぼす影響
昨年から続く物価上昇を受けて、このところ賃上げの動きが大きく広まっています。初任給を25万円以上に引き上げたり、既存の従業員についても5,000円を超えるベースアップを行ったりする企業が相次いでいます。筆者が就職したのがちょうど2000年ですが、それ以来、これだけの賃上げがあるのは初めての経験です。
この背景には、物価上昇以外にも、特に若い人を中心に労働力人口が減っていることがあります。ただでさえ採用に苦労しているところに賃上げの動きが広まることでますます人材の確保が難しくなり、他社の動向を見ながら追随している企業もあるでしょう。
ただ当然のことながら賃上げはコストアップの要因になりますので、経営側としてはその影響を見極めた上でどのような内容、水準で賃上げを行うのかを見極める必要があります。当社にも、基本給テーブルの引上げ案に対して、将来にわたっての人件費への影響をシミュレーションしてほしいといった相談が寄せられています。
例えば基本給を月1万円引き上げた場合、年間の人件費への影響は1人あたり12ヶ月分で12万円には収まりません。基本給の引上げに連動して増加する人件費が他にもあるからです。一般的には次の4つが考えられます。
1つ目は残業代(割増賃金)です。割増賃金の基礎は所定労働時間1時間当たりの賃金額であり、これに割増率をかけて単価を出しますので、基本給が上がるとそれに比例して残業代も増えることになります。残業代の支払いが多い企業ほど、その影響は大きくなります。
2つ目は賞与です。賞与の計算式は企業によって異なりますが、基本給に所定の月数や係数を乗じて算出しているケースが多くあります。例えば賞与のベースが基本給3ヶ月分だとすると、基本給1万円の引上げに対して賞与は3万円増加することになります。
3つ目は社会保険料です。社会保険料は基本給だけではなくて各種手当や残業代、賞与を含む報酬全体が対象となります。企業が負担する保険料率は合計で15%程度ですので、社会保険料を含む人件費の増加は年間報酬の増加分の15%増しくらいで考えておく必要があります。
賃上げと退職金の関係
そして最後の4つ目が退職金です。退職金の計算式も企業にもよって様々ですが、特に中小企業では「退職時の基本給×勤続年数別の支給率」のような最終給与比例の形で決められているケースが多くあります。この場合、例えば基本給のテーブルを一律3%引き上げたとすると、退職金も一律3%増加することになります。退職給付債務もそれだけで3%増加しますので、コストインパクトが大きく、注意が必要なケースになります。
これに対して、ポイント制の退職金のように月例給与と退職金の算定式が切り離されている場合は、基本給を引き上げても退職金には影響しません。ポイント制退職金とは、例えば社内の資格等級や勤続年数に応じて1年あたりのポイントを定めておいて、それを毎年累積した合計ポイントにポイント単価を乗じて退職金を算出するという仕組みです。大企業ではこの方式を採用している割合が高くなっています。
ですから、賃上げが退職金コストに影響するのを避けたい場合には、ポイント制退職金のように、月例給与と連動しない計算式を採用すればよい、ということになります。
一方で、従業員の立場からすると、物価が上がっているのに退職金が増えないのは、実質的には退職金の目減りということになってしまいます。ポイント制退職金において、支給水準を引き上げるには2つの方法があります。
1つはポイント単価を調整したり、物価上昇を勘案して別途係数を乗じる方法です。ポイント単価は多くの場合1,000円や10,000円といった切りのいい金額で設定されていますが、これを例えば1,030円とか10,300円にすることで全体の水準を一律3%引き上げることができます。ただしこの場合は先ほどの最終給与比例の退職金のケースと同様に、コストインパクトが大きくなります。
もう1つは、これまでのポイントの累積はそのままにしておいて、今後積み上げていくポイントをポイントテーブルの見直しによって増やす方法です。この場合、退職金の水準は将来に向かって徐々に増加していくことになりますので、コストインパクトも比較的抑えられます。
このように、退職金制度の設計によって賃上げの影響の有無や対応方法は異なります。物価上昇や賃上げが継続的なものになるかどうかは分かりませんが、退職金への影響や制度の持続可能性にも目を配り、問題があれば見直しを検討しましょう。
著者 : 向井洋平 (むかい ようへい)
クミタテル株式会社 代表取締役社長
1978年生まれ。京都大学理学部卒業後、大手生命保険会社を経て2004 年にIICパートナーズ入社。2020年7月、クミタテル株式会社設立とともに代表取締役に就任。大企業から中小企業まで、業種を問わず退職金制度や高年齢者雇用に関する数多くのコンサルティングを手掛ける。日本アクチュアリー会正会員・年金数理人、日本証券アナリスト協会検定会員、1級DCプランナー、2級FP技能士。「人事実務」「人事マネジメント」「エルダー」「企業年金」「金融ジャーナル」「東洋経済」等で執筆。著書として『確定拠出年金の基本と金融機関の対応』(経済法令研究会)ほか。