【月刊 人事マネジメント連載】第3回:早期離職防止とキャリア自律による人的資本の最大化 【人材枯渇リスクの乗り越え方 ~4象限で導き出す人事対策の選択肢~】
本連載では、人材枯渇リスクへの対策を「人的資源の量と1人が生み出す価値」「直接的アプローチと補完的アプローチ」の2軸によって4象限に整理しています。このうち「1人が生み出す価値の向上」は単に労働生産性の最大化を意味するものではありません。就業期間が高齢期まで延び、キャリアの多様化も進む中で、1人の人材が生涯を通じてもたらす価値を最大化させることが重要となります。
Employee Lifetime Valueを最大化させるには
1人(1社)の顧客との取引から得られる利益の総額は、1回(期間)あたりの利益と取引回数(期間)の掛け算によって表され、これをLTV(Lifetime Value)と呼びます。これを企業と従業員の関係に当てはめたのがELTV(Employee Lifetime Value)です。1人の従業員が在籍期間を通じて自社にもたらした価値であり、図1のように表すことができます。
入社直後は採用や教育研修にかかるコストによりマイナスからスタートし、一人前になって成果を出し始め、ある時点でピークに達した後は頭打ちとなり、退職とともに0となるのが一般的な形となります。「1人が生み出す価値の向上」は、このプラスの部分の面積をいかに大きくするかということであり、人的資本の最大化を定量的に表したものだとも言えます。
ELTVを大きくするには3つの方向しかありません。①左に広げる(成長を早める)、②上に広げる(労働生産性を高める)、③右に広げる(長く活躍し続ける)の3つです。どれも重要な視点ですが、特に大きな影響を及ぼすのが③です。その理由の1つは、成果を出し始める前に(あるいは成果を出し始めた途端に)辞めてしまう早期離職はELTVを大きく毀損してしまうこと、もう1つは、就業期間の長期化・高齢化が進む中で、いかにパフォーマンスを落とさずに働き続けられるかが重要になるからです。
早期離職の防止はWHOとWHYを起点に考える
早期離職の防止を考えるうえで起点となるのが「WHO」と「WHY」です。どんな人材がどんな理由で辞めているのかを把握できていなければ、有効な手立てを講じることはできません。
1人1人の顔が見える小さな組織であれば個別に把握することができますが、規模が大きくなるとやはりデータの管理と活用が重要になります。採用時の入社経路、配属、人事評価などにより区分して離職率を算出することで「誰が辞めているのか」を把握するとともに、勤怠データやエンゲージメント等のサーベイ結果と掛け合わせることで、離職の要因を客観的に分析することが可能になります(図2)。 退職者本人や、上司など周囲のメンバーへの退職理由の聞き取り(アンケート)も重要な要素であり、データ収集のために退職手続きのプロセスに組み込んでおきたいところです。ただ、退職理由のホンネを聞き出すのは簡単なことではありません。無理な引き留めや上司の責任に意識が向かわないよう、心理的安全性を確保することが重要になります。第三者によるエグジットインタビューを活用するのもよいでしょう。
このような離職状況の分析を行ったうえで施策の立案に進むことになりますが、離職防止策は入社後の職場環境や労働条件だけでなく、入社までのプロセスも含めて考えることが重要です。そもそも自社にマッチしない人材を採用してしまっていたとしたら、そうならないような募集・選考プロセスに見直す必要がありますし、「入社したら聞いていた話と違った」という理由が大きければ、募集段階での説明を再検討する必要があるでしょう。大企業では担当が採用、教育研修、労務管理といったように細分化されていることが多いですが、早期離職防止のためには相互に課題を共有して改善策を立案できるかがカギとなります。
ELTVを最大化させるキャリア自律とは
若手社員に対しては定着が課題となっている一方で、シニア層に対しては「ぶら下がり」に課題を感じている企業が多いのが実情です。パフォーマンスが人件費に見合わないほどに下がってしまった状態では、勤続期間が延びるほどELTVは減少する一方です。そうした課題意識のもと、昨今はキャリア自律が重視されるようになってきていますが、キャリア自律を推進するには何が必要でしょうか。また、キャリア自律の高まりはELTVにどう影響するのでしょうか。
企業として個人のキャリア自律を支援する前提として、社内のポジションや業務内容、人材要件が可視化されていることと、そのポジションにチャレンジする機会が個人に与えられれていることがあります。それがないままに、ただキャリア自律を強調したり研修や学習の機会を提供しても優秀な社員から流出していくだけで、かえってELTVを低下させることになりかねません。人材育成のための戦略的な人事異動は残しつつ、自らの意思表示を前提とした昇格や異動を基本とし、その上で会社の人材ニーズと本人の希望を重ね合わせられるような支援を行うことが、ぶら下がり社員を生み出さないために必要です。
では、社内キャリアの枠を超えて新たなチャレンジをしたいという社員の退職についてはどう考えればよいでしょうか。確かにその時点での従業員としての価値は0になってしまいますが、他社での新たな経験を経て再入社することがあれば、将来的にはより大きな価値を発揮する可能性があります。また、キャリア自律度の高い人材とは雇用関係が終了しても協業や提携といった新たな関係を築くことで価値を生み出していくことが可能です。
こうした前向きな退職が多い企業では、アルムナイネットワークが有効に機能しやすくなり、雇用関係に限定しない意味での真の生涯価値(LTV)を最大化させることができます。そしてそれは人材枯渇リスク対策における補完的アプローチ、すなわち一般従業員としてだけでなく、副業人材の受け入れなど多様な関係性を活かした人材の確保と活用にもつながっていきます。
出典:月刊 人事マネジメント 2023.10 (発行)株式会社ビジネスパブリッシング www.busi-pub.com
著者 : 向井洋平 (むかい ようへい)
クミタテル株式会社 代表取締役社長
1978年生まれ。京都大学理学部卒業後、大手生命保険会社を経て2004 年にIICパートナーズ入社。2020年7月、クミタテル株式会社設立とともに代表取締役に就任。大企業から中小企業まで、業種を問わず退職金制度や高年齢者雇用に関する数多くのコンサルティングを手掛ける。日本アクチュアリー会正会員・年金数理人、日本証券アナリスト協会検定会員、1級DCプランナー、2級FP技能士。「人事実務」「人事マネジメント」「エルダー」「企業年金」「金融ジャーナル」「東洋経済」等で執筆。著書として『確定拠出年金の基本と金融機関の対応』(経済法令研究会)ほか。