設⽴20周年を前に退職⾦制度を⾒直した意図とは?――ゾーホージャパン ⼤⼭⽒ × 豊⽥⽒ × 退職⾦専⾨家 向井洋平 前編
企業にとって社員の増加は、成長の証である反面、課題を生み出すことがある。設立から20年を迎えようとしているゾーホージャパンにとって、それは退職金制度であった。退職金制度にはどのような課題があったのか?そして、見直しはどのように進められたのだろうか? 退職金制度の見直しに取り組んだゾーホージャパン 取締役副社長 大山一弘 氏、豊田陽子氏と退職金専門家 向井洋平に話を聞いた。
—日本的な退職金制度のある外資系ソフトウェア企業――ゾーホージャパン
向井 | 御社について教えていただけますか。 |
大山 | 弊社 ゾーホージャパンは、2001年に日本法人として設立されました。元は1996年にアメリカで本社が創立され、その日本法人という形ですね。 事業内容は、自社開発ソフトウェア・クラウドサービスの販売、それに付帯するコンサルティングサービスや保守サービスの提供、つまり販売、マーケティング活動や技術的なサポートが主となっています。開発自体は現在本社があるインドで行っています。 設立当時は、システム運用管理ソフトウェアの販売が中心でしたが、クラウドの盛り上がりとともに、顧客管理・マーケティング活動、共同作業コミュニケーションといった社内のオペレーションを支援するシステムをクラウドサービスとして提供しています。 |
向井 | いわゆる“外資系”として設立されたわけですが、そのような中である意味“日本的”ともいえる退職金制度があるのは異色ですね。 |
大山 | 日本法人設立当時の初代社長が日本人でした。本社自体もまだ小さく、日本の運営は日本法人の社長に任されており、退職金制度も含め日本的な会社運営をしていた、という背景があります。 |
向井 | なるほど。ところで今回、退職金制度を見直したということで大山さんと豊田さんからお話をうかがうべく時間を作っていただきましたが、お二人の経歴や立場について教えていただけますか。 |
大山 | わたしは、大手企業のシステム開発子会社でネットワーク管理システムの開発を行っていましたが、初代社長に誘われたことがきっかけで、日本法人の設立メンバーとして加わることになりました。 技術職としてお客様へのコンサルティングを行っていましたが、2019年、インド本社から現社長が就任したタイミングで、現在の副社長という立場に就任し現社長を補佐するという役割を担っています。 |
豊田 | わたしは2007年に新卒採用されてからゾーホージャパンに在籍しています。入社当初は技術職でしたが、2018年から総務人事に異動して現在は人事部長を勤めています。 |
大山 | 豊田は新卒採用を始めた初年度のメンバーなので、中心的存在として信頼を置いていること、元々人事系の職種を希望していたことから、部長として経営に加わってもらっているんです。 |
—多様化する人材のニーズに対応できなかった大企業的な退職金制度
向井 | おふたりとも、着任されてからまだ1年2年というところで退職金制度の見直しに着手されたわけですが、何がきっかけだったのでしょうか。 |
豊田 | 現在、社員数が90人を超えたところですが、100人を超えたら中小企業退職金共済(中退共)から脱退しないといけません。社員が次々と増え、「このままではすぐに100人を超えてしまう」という危機感がありました。そこで、受け皿となる新しい制度が必要だったんです。 |
大山 | ゾーホージャパンの退職金制度は初代社長が大手企業のものを参考にしていました。つまり、20年、30年働いて、定年を迎えて100%もらえるというものでした。 ゾーホージャパンには多様な人材が在籍しています。若い人も多い。ライフプランもキャリアプランも時代とともにいろいろと移り変わる中で現状でいいのか、という考えがありました。 また、退職時にいくら退職金を手にできるのかといったこともわかりづらい。もちろん、退職金規程を読み込めば、なんとなく想像できるのですが、透明性という点で課題を抱えていました。 そこで、長くても短くてもメンバーが会社を退職するときには、これまでの貢献に対しての感謝やメンバーへの思いが伝わるような額を退職金として渡したい、次のステップに移る資金にしてほしい、「今、お金が必要だ」という若いメンバーの意向にも沿えるようにしたいということで、退職金制度を新しくしたいという思いもありました。 いわば、中退共の解約はひとつのきっかけに過ぎなかったのです。 |
向井 | 元々そういう思いを持っていたところ、緊急性も高まってしまったというわけですね。 |
—20年近く積み上げてきたものを変更する際に生じた課題とその解決方法
向井 | そんな中で、当社にお声がけいただいたのが2019年8月のことでしたね。 |
大山 | “退職金制度のあるべき姿”や法的な部分について、わたしたちは全くの素人。人事部門でも1から作るのは難しいと感じていました。それで、いくつかのコンサルティング事業者にコンタクトを取り、そのうちのひとつがクミタテルでした。 |
豊田 | 最初の来社時でクミタテルさんには、今後のスケジュール感や予算、また前社長が抱いていた退職金制度への想いを汲み取っていただけました。 新しい退職金制度を検討していたメンバーたちとしては、弊社に寄り添って一緒に課題を解決してくれる、想いをヒアリングしてくれる会社にお願いしたいと考えていたこともあり、「総合的に、一緒に制度を作っていくのに最も適している」との結論に至り、クミタテルさんに支援をお願いすることにしたんです。 |
向井 | そう言っていただけるとありがたいです。実際、退職金制度見直しにあたって、課題や疑問点、また壁となったものには何があったでしょうか。 |
大山 | ひとつには、透明性を高めるだけでいいのだろうか、という疑問が生じてきました。というのも、若い社員にとっては、60歳定年時に会社をやめるときに受け取ることができる退職金が魅力的な制度とは映らなかったようなので、そこをどのように解決していくのかというところですね。定年退職に対応するだけでは、いくら透明性を高めても、魅力を感じてもらえないというわけです。 また、制度の変更が改悪になることは避けたい。社員にとって「変わって良かった」と思えるものにしたいという想いもありました。 とはいえ、若い社員とはわたしも、また退職金制度の検討メンバーも世代が違う。社員インタビューすることもできなかったので、何が必要なのだろうか、というのが検討側の課題となりました。 |
豊田 | 実務担当としては制度についての課題もありました。中退共と特定退職金共済(特退共)に積み立てていた資金を、次の制度に移行できるだろうかという点です。 できれば全部移行したい。それが実現可能なのかどうかというところで調査していただきました。 |
向井 | 確定拠出年金については実施可能なプランをいくつかリストアップすることができましたが、御社で考える退職金制度を受け入れてくれる金融機関があるかどうかは、一社一社当たってみないとわからない。提案したはいいが、実現できなかった、ということもあり得たので、受け入れ先が見つかって、弊社としても安心したのを覚えています。 (注)最終的には中退共からの移行が可能な制度として確定給付企業年金を採用した。 |
大山 | ほぼ希望していた制度に近いものを受け入れてくれるところが見つかって本当に良かったですよ(笑)。 |
向井 | 会社の規模や退職金制度の設計などいくつかの要素がある中で、この枠組みを外部積立制度で実現できるかどうか、というのは、各制度の実施主体や委託先の金融機関などに個別に確認していかないとわからないところがある。とはいえ、いろいろな選択肢を用意し当たっていくのが重要なことだ、とプロジェクトでご一緒させていただいて実感しました。 |
「設⽴20周年を前に退職⾦制度を⾒直した意図とは?――ゾーホージャパン ⼤⼭⽒ × 豊⽥⽒ × 退職⾦専⾨家 向井洋平 後編」に進む >
※取材日時 2020 年 10 月
※記載内容は、取材時点の情報に基づくものです。本取材は感染症対策の上で実施いたしました。
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