定年延長・継続雇用制度の検討に役立つ人件費シミュレーションの手法と実践
人口の高齢化を背景に、定年延長や継続雇用制度の拡充など、高齢社員の戦力化や活躍推進に取り組む企業が増えてきています。こうした制度の見直しを行う際に多くの企業で課題となるのが人件費です。特に大企業では高齢社員の賃金の設定や賃金原資の捻出が定年延長にあたっての課題として上位に挙げられています。
そこで今回は、定年延長や継続雇用制度の検討に欠かせない人件費シミュレーションの手法について解説します。簡便的なシミュレーションツールもご用意していますので、本記事を参考にご活用ください。
なぜ人件費が課題になるのか
そもそも、定年延長を行う際に人件費が課題になるのはなぜでしょうか。事業を行うのに必要な組織とポストと役割が定義されていて、それぞれに“値札”(報酬)が付いていれば、そこに過不足なく人材を当てはめることで自ずと総額人件費は決まりますから、定年延長が人件費に直結することはありません。
実際、この4月から定年廃止に踏み切ったYKKでは、担う役割の大きさに応じて処遇を決めるとともに組織における役割の総和を管理すること(「役割総和管理」)により、結果として労務費も一定になるという考え方を採っています。そのため、年齢にかかわらず処遇は仕事(役割)を軸として決まることになります。
ただ、こうした仕組みや考え方を末端にまで適用すると、ポストの空きや「役割総和」に対する不足がどこかに生じない限り新たな採用はできなくなるため、新卒一括採用とは相いれないことになります。また、人事制度上は職務や役割に応じた等級・報酬制度を実施していても、運用上は年功的な要素が残っている(完全に排除することは難しい)ケースは多く見られます。そのため、多くの企業で総額人件費への影響は避けて通れない問題となります。
総額人件費の基本的な考え方
定年延長や継続雇用制度の拡充は人件費の増加要因となりますが、総額人件費は従業員の年齢構成や賃金分布、採用や退職(再雇用率)の状況によっても大きく変わってきます。そのため、まずは現状をベースとして今後10~15年程度の人員推移や総額人件費の推移を把握しておくことが重要です。
もし将来的に人員の減少(不足)や総額人件費(労働分配率)の減少が見込まれるようであれば、高齢社員の活用を推進する必要性が高まりますし、そのための処遇改善の原資も確保することができます。逆に、事業規模に対して人員や人件費が過大になりそうであれば、転進支援の施策や現役社員を含めた制度見直しを考える必要があるでしょう。
総額人件費は「人数×1人あたり人件費」の形に分解することができます。これをさらに年齢層で区分すると、以下のような表で集計することができます。
年齢区分 | 人員数(A) | 1人あたり人件費(B) | 人件費合計(A×B) |
15~20歳 | 〇人 | 〇円 | 〇円 |
20~25歳 | 〇人 | 〇円 | 〇円 |
25~30歳 | 〇人 | 〇円 | 〇円 |
… | … | … | … |
60~65歳 | 〇人 | 〇円 | 〇円 |
合計 | 〇人 | 〇円 | 総額人件費:〇円 |
どの企業でも1人1人の人件費は(少なくとも定年に到達するまでは)年齢とともに個人差が大きくなる傾向にありますが、年齢区分ごとに平均をとると一定の水準に収れんしていくケースがほとんどです。
そこで、1人あたり人件費は年齢区分ごとに固定し、将来の予測人員数を上の表に当てはめることで、現状をベースとした5年後、10年後、15年後の総額人件費を推計することができます。
人員数予測と1人あたり人件費の考え方
定年延長や継続雇用制度の検討にあたっては、定年制の適用対象となる社員(正社員)と定年後の継続雇用者を対象として、人員数の予測や1人あたり人件費を考えていくことになります。年齢区分を5歳刻みとした場合、予測の時点は5年ごと(5年後、10年後、…)となります。
人員数の予測は、現時点の年齢別人員数をもとに、今後の採用と退職の見込みを反映して算出します。採用数・採用年齢については、具体的な採用計画が定まっている場合はそれに従い、定まっていない場合には直近3年程度の実績から見込むなどの方法があります。
退職に関しては定年時とそれ以外で分けて考えます。定年時の離職率(定年到達者のうち継続雇用を希望せずに退職した人の割合)と定年時以外の離職率(各年齢区分ごとの1年間の離職率)について、それぞれ直近3年程度の実績から見込むなどの方法があります。
<離職率の簡便的な計算式>
【定年】直近3年間の定年時離職者数/直近3年間の定年到達者数
【定年以外】年齢区分ごとの「直近3年間の平均離職者数/現在の在籍人数(注)」
注:年齢区分ごとの人員数に大きな偏りがあったり直近で人員数に大きな増減があった場合には、それらを考慮しないと誤差が大きくなることがあります。
次に、1人あたり人件費については、一般的には月例給与、賞与、社会保険料(会社負担分)、退職給付費用の4つで概ね総額をカバーできます。基本的には直近1年間の実績をもとに年齢区分ごとに1人あたりの平均額を算出しますが、例えば賞与の一部または全部について会社業績に直接連動して配分しているような場合には、直近の実績をそのまま使用することが適切でないこともあります。
また、退職給付費用のうち確定給付制度(退職一時金や確定給付企業年金)にかかる費用に関しては、勤務費用のみを対象とすることが考えられます(数理計算上の差異などは人員数の推移に連動しないため)。
1人あたり人件費は年齢区分ごとに固定して将来予測を行いますので、総額人件費を構成する各要素のうち年度によってブレの大きな部分については除外したり平均的な水準に調整するなどの対応を検討しましょう。
結果のアウトプットとシミュレーションの活用
ここまで見てきたように、年齢区分ごとの在籍人数、1人あたり人件費、採用数、離職率(定年時及びそれ以外)をパラメータとして、将来の人件費推移をシミュレーションすることができます。以下は、人件費シミュレーションツールの入力シートのサンプルです。
これをもとに、5年後、10年後の人員数と人件費を計算した結果が以下のとおりです。
このように、現状のまま推移したときの人員数を定量的に把握し、社内で共有することで、人事上の課題やシニアの活用を含めた対応策についての議論を進めやすくなります。また、賃金改善の余地やその程度についても定量的に把握することで検討が進めやすくなるでしょう。パラメータを変えてシミュレーションを行うことで、60歳(あるいは65歳)以降の継続雇用率や報酬について、どの程度の水準を目指すのかの見極めも可能となります。
定年延長や継続雇用制度の拡充には人件費負担の心配が先に立ってしまいがちですが、定量的な材料がない中でそれにとらわれてしまうとなかなか議論を進めることができなくなります。まずは「成り行き」での人員数・人件費推移をシミュレーションすることから始めてみましょう。
著者 : 向井洋平 (むかい ようへい)
クミタテル株式会社 代表取締役社長
1978年生まれ。京都大学理学部卒業後、大手生命保険会社を経て2004 年にIICパートナーズ入社。2020年7月、クミタテル株式会社設立とともに代表取締役に就任。大企業から中小企業まで、業種を問わず退職金制度や高年齢者雇用に関する数多くのコンサルティングを手掛ける。日本アクチュアリー会正会員・年金数理人、日本証券アナリスト協会検定会員、1級DCプランナー、2級FP技能士。「人事実務」「人事マネジメント」「エルダー」「企業年金」「金融ジャーナル」「東洋経済」等で執筆。著書として『確定拠出年金の基本と金融機関の対応』(経済法令研究会)ほか。
出口 (イグジット) を見据えたシニア雇用体制の確立をしましょう
労働力人口の減少と高齢化が同時進行する中、雇用の入口にあたる採用、入社後の人材育成・開発に加え、出口 (イグジット) をどうマネジメントしていくかが、多くの企業にとっての課題となりつつあります。特に、バブル入社世代が続々と 60 歳を迎える 2020 年代後半に向けて、シニアの雇用をどう継続し、戦力として活用していくのか、あるいはいかに人材の代謝を促進するのか、速やかに自社における方針を策定し、施策を実行していくことが求められます。多くの日本企業における共通課題であるイグジットマネジメントの巧拙が、今後の企業の競争力を左右するといっても過言ではありません。
シニア社員を「遊休人員化」させることなく「出口」へと導くイグジットマネジメントを進めるために、まずは現状分析をおすすめします。